この町内のこと

蒲生岡本町の圓通寺寺伝によると、1300年前に創建された由緒ある神社。高皇産霊神(たかむすびのかみ)行基菩薩を祀る。また、詳しい由来については神社境内の東側県道沿いに設置。圓通寺所蔵の古文書写を展示。
蒲生岡本町を中心とするこの地一帯は麻生荘(あそのしょう)と云われる。
大津京を開いた天智天皇の第2の太子(大梵天皇と称す)が岡本の東山に高岡宮を開いたとされ、太子のお付きの者23人が高岡に住み着いた。
壺焼きを生業とし大津京に多くを献上したと思われる。その後、聖武天皇に仕えていた行基菩薩がこの地を訪れ住まいし、水晶磨き、農業、土木工事を広めた。
聖武天皇行幸の折、日野川が増水し渡れなくなったので、行基菩薩は板7枚をもって橋を架け、村々から帯を集めて橋に帯で化粧をし、聖武天皇を迎えた。このことから、高木神社は行基菩薩を祀り、旧暦の4月3日(現在は4月23日に近い日曜日)に聖武天皇を迎える祭りが高木神社大祭である。
子供達の囃子で迎えることから「ケンケト祭り」、7本の帯で行基菩薩の功績を讃えることから「帯掛祭り」ともいう。
もともと圓通寺は高木神社の境内にあった。行基菩薩が創建し、高木神社の守護寺とした。16世紀の大火により焼失し、現在の地に移った。現在は浄土宗である。圓通寺の云われについても古文書参照。


7人カンカ


7本の帯掛け


祝詞なおらい


ちらし寿司とはも汁


渡御